優秀な人間が絶対に持っていなくてはならない資質として「責任を取ることができる」ということがあります。このことに異論がある人はほとんどいないと思いますが、私は多くの人が「責任を取る」ということの本質を誤解しているように感じます。「責任を取る」ということは具体的に何をすることなのでしょうか?

何も例が無いと考えにくいので、事故を起こした福島第一原発の例で考えて頂きたいです。福島第一原発は事故を起こし、それに対して東京電力は責任を取ったとは言い難い状況です。では、どのようにしていれば「完璧に責任を取った」と言える状態になっていたのでしょうか?東京電力は本来どうあるべきだったのでしょうか?そう訊かれれば、以下のようなことを考える方々が多いのではないでしょうか。

  • 役員を含めた社員全員の給料をギリギリ生活できるレベルに下げてボーナスもカットし、会社の資産全てを事故の収束と除染と周辺住民への賠償に使う。
  • 社員自ら原発事故現場で作業をし、下請けの現場作業員たちには十分な待遇と手当を用意する。
  • 全ての情報を開示し、東京電力の重役達とそれを監督する政府関係者は刑事罰を含んだ罰を受ける。
  • 電気料金は値上げしない。

もし、これらを全て実施したのであれば、それはそれで評価されるべきことだとは思います。しかし、これらを全てやれば「完璧に責任を取った」と言えるのでしょうか?

残念ながら答えはNoです。

これらを全てやったとしても、やはり周辺住民の方々は故郷や仕事を奪われたことに間違いはないですし、放射性物質が漏れ出てしまっている事実までは変えられません。これらのことは、厳密に言えば「本来取るはずだった責任を取りこぼしてしまったことへの後始末」でしかないのです。

 

では、どのような状態であれば「完璧に責任を取った」と呼べるのでしょうか?

それは「事故を起こさないこと」です。

「えっ!そこから?」と思われる人もいるでしょうが、そこからです。事故が起こってしまった時点で、もう「完璧に責任を取る」などということは不可能です。

福島第一原発の件に関して「完璧に責任を取った」と言える状態とは、日本国民の大多数が「福島第一原発?何それ?」とか「福島県にも原発ってあったんだね。知らなかったよ」と言い、原発周辺の住民ですら近くに原発があることを忘れて過ごしているような状態のことを言うのです。

 

 

「責任を取る」ということを多くの人が「危機的状況に陥った時に、その弁済をしたり罰を受けること」だと考えているように思いますが、「責任を取る」ということの本質は「危機的状況に陥ってから何かをすること」ではなく「危機的状況に陥らないように事前に対処すること」です。

ここでは、これらを「事前責任」「事後責任」と呼ぶことにします。多くの人が「責任を取る」ということは「事後責任」の方を考えがちであり、「事前責任」の方は忘れられている傾向があるように思います。それは「危機的状況に陥り、それに応して動く(事後責任)」は目立ちますが、「危機的状況に陥らないように、事前に対処する(事前責任)」方が出来ている場合、一見何も起きていない様に見えるため目立たないからということが大きいでしょう。

例えば、火を消し忘れたタバコの吸い殻があったとして、それをそのまま放置すれば火災という危機が起こります。その場合は、一刻も早く火災を消火すること、火事の賠償すること、場合によっては刑事罰を受けることが責任を取ることですが、これらは全て事後責任です。

 

事後責任の例

 

事前責任を果たすことは「危機的状況に陥らないように事前に対処すること」ですので、この場合では、タバコの吸い殻の火をきちんと消すことです。この事前責任を果たしていれば、火事が起こることもありません。したがって、何も被害は無いので、賠償をしたり刑事罰を受けたりなどと言うことは、不要です。そもそも、「責任」という言葉自体が出てこないでしょう。

事前責任の例

 

 

 

この観点で見れば、人間が起こすあらゆる問題(事故、医療ミス、男女関係、政治家の不祥事など)において、事後責任も確かに大事ですが、事前責任をしっかり果たすことが何より一番大事だということが分かります。事前責任をきちんと果たしていれば被害自体が起こらない上に、事後責任が発生した時よりもはるかに少ない労力や時間で対応できるのです。

 

しかし、事前責任を果たしている場合、何も問題が起こっていないので一見何もしていないように見えてしまうのです。そのため、多くの人は「責任」とは「事後責任」のことだと考える傾向があるようです。

では、これを学生の勉強というものに当てはめて考えてみます。学業成績が悪いことに悩む中高生に「君は自分の学業成績に責任を取る気が無いのではないか?」と訊いた場合、多くの生徒は「そんなことは無い!」と言うかもしれません。おそらく彼らは「悪い成績を取った時に、誰のせいにもせず、その結果を受け入れること」が責任を取ることだと考えているのでしょう。ですが、言うまでもなく、これは事後責任です。

事後責任しか考えていない生徒

 

 

成果を挙げるためには、何より事前責任を果たすこと、つまり「危機的状況(悪い成績を取ってしまう)に陥らないように事前に対処する(勉強をする)」ことが必要です。つまり、ひどい成績を取ってしまった時点で既に事前責任を果たすことができていないと言えます。事後責任しか考えていない生徒と事前責任を果たすことの重要性を理解している生徒の考え方の違いを見てみれば、どちらがより成果を出せるかは考えるまでもないことでしょう。

事前責任を果たす重要性を理解している生徒

 

ここまでで、本当の意味で責任を果たすこととは「事前責任を果たすこと」であり、それを理解していることが成果を出す上でどれほど重要かということはご理解頂けたと思います。

ですが、事前責任を果たすこと、つまり「危機的状況に陥る前に対策を打つ」ということを本当にやろうと思えば、どれほど大変かということは想像がつくと思います。実際の仕事の場では、どこでどんな問題が起こるかということは普通は誰にも分かりません。見えるとしてもその僅かな兆候程度でしょう。その兆候を鋭く見つけてすばやく対策を打ち、問題を表面化させないということが何よりも求められるのですが、そのためには「わずかな兆候も見逃さない」という気持ちで全身全霊をかけて仕事に集中する必要があります。そして、この事前責任を果たす覚悟を決めた時に人は本来持つ能力を最大限に発揮できるのです。

ただし、事前責任を果たす覚悟だけで仕事がうまく行く訳ではありません。例えば製造業であれば、何千、何万という製品を作ることも有り得ますし、製造だけではなく、企画、開発、販売、アフターサービスなど多岐に渡る業務を行わなくてはなりません。それら全てを一人でやる訳ではありませんが、それでもその仕事に関わる工程や工数は膨大であり、どれだけ強い気持ちがあってもそれら全てを完璧に監視することは不可能です。

そういう場合にモノを言うのは長年の「経験」です。その仕事の現場において「事前責任を果たす覚悟」を持って長い時間仕事をし続け、様々な失敗やトラブルなどに直面し、それを解決するために考え続け、行動し続けて来た人が知識と経験を蓄積することで優れた人になることができます。しかし、「事前責任を果たす覚悟」が元々無い人は必死に考えたり行動を起こすことが無く、ラクをすることばかり考えるため、同じような経験をしても、それが能力に結びつきません。つまり「事前責任を果たす覚悟」を持っている人と持っていない人とでは、同じ経験をしても成長の度合いが全く違うということです。

更に事前責任を果たす覚悟を強靭に持っている人は「危機が起こる前に行動を起こすこと」が何よりも重要だということをよく理解しています。そのため、常に先のことを考え続けており、誰よりも早く行動を起こします。スピードも速いですが、それ以上に行動を起こすタイミングが早いです。実際、優秀な人と付き合っていると「この人は、そんなに前からこんなことを考えて行動を起こしていたのか!」とビックリさせられることがあります。逆にこの覚悟がない人は目の前の苦しさから逃げて、決断や行動を先延ばしにします。

勉強というものにおいて言えば、全く勉強をせずにテスト直前になって大慌てするということは誰しも一度は経験があることだと思います。しかし、テストがいつあるかということは何週間も前から分かっていることですし、全く勉強をせずにテストを受ければどうなるかも知っているはずです。それなのに、テスト直前まで何の対策も打たずに慌てるという事態はよく起こります。

それはテストがあることを知りながら、勉強という行動を先延ばしにし続けたことが原因です。つまりその生徒は「危機(テスト直前に大慌てすること)が起こる前に対策を打つ(勉強をする)」という事前責任を果たすことを放棄していたのです。この先延ばし癖があると、マネジメントを行う上で致命的になります。そのため、まずは、この先延ばし癖を直すことが求められます。これは勉強においても重要ですが、最終的に社会人となった時にここを直しておかなければ仕事の場で活躍することは不可能です。

学習マネジメント塾ではもちろん生徒の成績を上げるためのものですが、最終的には社会において活躍できる優秀な人を育て上げることを目指しています。そして優秀な人は何よりも「事前責任を果たす」こと、つまり「危機的状況に陥らない様に事前に手を打つ」ことができる人であり、それこそが責任の本質であるということを教えていきます。