今の時代は昔に比べると、進学、就職、結婚などで非常に多くの選択肢があります。それは普通に考えれば良いことなのかもしれません。ですが、選択肢が多いということが必ずしも良い方向に作用しないこともあります。

 

選択肢の多いことによる弊害

例えば、フランス料理の店でワインを選ぶ場合、何百種類とあるワインの中から美味しいだけでなく、料理にも合うワインを正しく選ぶことは困難です。だから、ソムリエと呼ばれる人がワインを選んでくれるのです。このことからも分かるように、選択肢が多くても、その中から適切なものを選ぶ能力がなければ意味が無いのです。

それどころか、選択肢が多いことが逆に負担になってしまうこともあります。身近なものとしては服装などもそうでしょう。ファッションセンスがない人(つまり服を選ぶ能力が低い人)にとっては、さんざん悩んで服を選んだのに、周囲から”ダサい”と言われる苦痛に耐えなくてはならないのですから、服の選択肢が多いことはデメリットの方が多いのです。そういう人にとって、学校などで制服が決められていることは、とてもありがたいことです。つまり制服は選択肢を減らすことによって、人の負担や不安を解消するためのシステムであると考えられます。

また、男を見る目が無く、ダメ男とばかり付き合っている女性に自由恋愛をさせても不幸になる可能性が高いですし、この世には恋愛そのものが苦手な人も大勢います。そのため、私は全ての人に自由恋愛をさせるのも、あまり良くはないのではないかと考えています。昔のようにある一定以上の年齢になったら周囲がお節介を焼いて見合いを用意するということも、そういった人たちを救済するシステムだったのではないでしょうか?

 

選択肢を減らすことで実現できることもある

何かを達成するためには、あえて選択肢を減らすという試みが有効になるときもあります。図書館や予備校の自習室や喫茶店で勉強をする人は多いですが、そういう人たちも自宅に机ぐらいは持っているはずです。しかし、自宅ではゲームをしたり、漫画を読んだりするという選択肢があるため、つい楽な方や楽しい方に流れてしまうのです。

仕事においても、特別に期限を区切られていない仕事を依頼された時、あえて「今日中に仕上げます」と宣言して期限を区切る人もいます。これは「後でやる」というような先延ばしの選択肢を自ら潰すことで、自分自身の集中力と緊張感を高めているのです。

また、今から50年ぐらい前の多少時代錯誤な話ですが、ある老舗の商店に嫁ぐ女性が結婚の前日に母親から、「お前はあの家の嫁になり、あの家の人間になるのだから、もう二度とこの家の敷居を跨ぐな」と言われたというエピソードを聞いたことがあります。その女性はその商店の女将として務め上げ、旦那さんが亡くなったお葬式の時に「もし、あの時母が『二度とこの家の敷居を跨ぐな』と突き放してくれなければ、私はここまで耐えられなかったでしょう。だから私は母に感謝しています。」と話したそうです。このように、選択肢を奪うことが結果的に人の救いになるケースもあるのです。

 

選択に基づいたビジネス

先述したソムリエもワインを選ぶということで成立している職業ですが、あまりにも多くの選択肢があるものの中で適切なものを選ぶということは困難であるがゆえにその需要は大きいと言えます。

極端な話、医者という職業も膨大な数の薬品や治療法の中から適切なものを選ぶということが仕事の大部分だと言っても良いでしょう。

高校生の受験勉強においても、受験用の参考書は何百冊とあり、どの参考書や問題集を使えばよいかということはすぐには分かりません。習熟度が低い生徒が難しすぎる参考書を買って全く分からず、そのまま勉強が嫌いになってしまうケースは非常に多いです。そういった高校生に相手に適切な参考書を選んであげる参考書ソムリエのようなものでも職業として成立する可能性は十分にあります。その場合、参考書ソムリエの人は必ずしも全ての教科を教えられる能力を持っている必要はありません。

このように視点を変えれれば、あまりに選択肢が多い現代においては”選択”というもの自体が困難であるがために、そこにビジネスチャンスもあると言えます。