人と話している時に、やたらと相手を”論破”しようとする人がたまにいますが、私は人間関係において、可能な限り論破というものはしないように心がけています。何故なら、論破というものをしてしまうと、大抵の場合ろくなことにならないからです。
論破をしても良いことは何も無い
経験のある人もいるでしょうが、相手を論破することがやたらと好きな人と話していると不毛な上に非常に疲れます。何故なら、そういう人は「自分の意見を正しいと認めさせること」が目的であり、「協力してより良い案を見つよう」という考え方を持たないからです。
ネット上の相談サイトなどでも、真剣に相談している投稿者に対し、何の解決策も示さないままその人の考えのダメなところをひたすら指摘するだけの人がたまにいます。そういう人の書き込みは人を不快にさせるだけで、非常に迷惑です。ネット上でもそうなので、面と向かってそのようなことをされたら、二度とその人に相談をしようなどとは考えないでしょう。
論破というものをして得られるものはせいぜい相手への優越感だけです。そんな下らないもののために周囲の人間を不快にし、自分も敵を増やすなど愚かしいことです。
相手の顔をつぶすべきではない
私は社会において”論破”というものをして得があるのは裁判の場だけだと考えています。裁判であれば、相手側を論破すれば裁判官が裁定を下してくれますが、裁判以外の場では、第三者が客観的に裁定を下してくれることはほとんどありません。それどころか論破した相手にも決定権がある場合も多いのです。
例えば、上司のから与えられた業務指示が的外れなものであったとしても、それを大勢の前で指摘するようなことはするべきではありません。もしそれをしてしまえば、上司の顔をつぶすことになります。
上司の立場として考えた場合、仮に部下の言うことの方が正しかったとしても、自分の顔をつぶした人間の指摘の通りに考えを変えようと思うでしょうか?それができる人はほとんどいないでしょう。それどころか、相手が正しければ正しいほどそれを受け入れたくないと考えてしまうものです。
そして、上司が考えを改めなかった場合、論破した人は「俺の方が正しいのに、上司がバカだと苦労する」などと愚痴を言うかもしれませんが、上司が考えを改めやすいように気遣うことができるのも能力の一つです。つまり、そのような論破をする人には「人を動かす力が無い」ということです。
議論において本当に強い人は”敵が少ない人”
ドラゴンボールやワンピースのような少年漫画の世界では、”強い人”とは強大な敵を打ち倒す力を持つ人ですが、現実の人間関係において”強い人”とは「敵が少ない人」です。
議論においても”強い人”とは相手の矛盾点を鋭く指摘して論破できる人ではありません。それに気付ける頭の良さも確かに必要ですが、本当に”強い人”とは自分の意見が通りやすい状況をうまく作り出すことができる人だと私は考えています。
そのためには、人のの間違いを指摘する時にも「~が間違っている」と否定するのではなく、例えば「提案頂いた内容を更に良くするために、ここを修正した方が良いと考えます」というように軌道修正していくのが良いでしょう。それを繰り返した結果、最終的な案が元々の提案と全く違うものになっても「最初に提案頂いた内容をベースにしている」ということにすれば、最初の提案をした人の顔をつぶすこともありません。
そのように周囲に配慮した上で軌道修正した提案がうまく進めば、敵も増やさずに周囲からの信頼も得ることができます。最終的には、周囲から「○○さんが言うことなら間違い無いでしょう」という評価を得ることができるのです。
確かに、周囲にそのような配慮をしながら仕事をするのは非常に面倒くさいことではありますが、それによって敵を作らずに周囲からの信頼を得ることができれば、遥かに仕事がやり易くなります。
それがどうしても面倒くさくてやりたくないのであれば仕方ありませんが、せめて「論破はしない方が良い」ということだけでも覚えておいた方が良いでしょう。