2020年より小学校3年生から英語教育が始まります。これについて私の意見を言わせて頂きますと、私は小学生からの英語教育には反対です。小学生の頃は算数や国語などの勉強に専念させるべきです。そもそも、日本では英語の能力に対して過剰な期待がされている傾向があるように思います。英語ができるだけで「頭が良い」と考えるのは大きな勘違いだと言わざるを得ません。
言語能力は思考のために必要
私は言語を学習する意義は大きく二つあると考えています。それは、「意思疎通」と「思考」です。言語能力は読む、書く、話す、聞くという意思疎通に必要ですが、それ以上に思考するために必要なのです。そのため、中途半端に2つの言語を習得するより、1つの言語、つまり母国語である日本語をより高度に習得するべきです。
東南アジアの大学では大学生のほとんどが英語を話すことができ、講義もほとんどが英語で行われます。それだけで、「東南アジアの大学生たちは凄い」と言う人もいますが、実際には学術的な説明をする際に東南アジアの言語では表現できない概念が多いため、そうせざるを得ないという事情があるようです。
日本では、福沢諭吉などの偉人たちが、それまで日本語には無かった海外の概念を表すの言葉を次々と作り出しました。「自由」「権利」「経済」「討論」などの言葉はその頃に生み出されたものです。そういった過去の偉人たちの努力によって、日本語で高度な思考ができるようになったのです。そのため、まずは日本語での思考能力を徹底的に鍛えることに集中しなくてはなりません。
外国語は意思疎通のツール
外国語を学習することで語彙が増え、より高度な思考をする助けになることはあります。例えば、「自由」という言葉が英語では「Freedom」と「Liberty」という言葉になっていたり、「情報」という言葉が英語では「Data」「Information」「Intelligence」という言葉になっていたりします(詳しくは情報には3つのレベルがあるの記事を参照)。ですが、それは日本語を十分高いレベルで習得した後にするべきことです。
基本的に、母国語で思考し、外国語は意思疎通のために使うというのが正しいスタンスです。そのため、英語はあくまでコミュニケーションのツールでしかないと考えるべきなのです。知的コンプレックスの強い人は、”英語を使って仕事をする”こと自体が目的になってしまうことがあるようですが、英語を使うことが目的ではなく、英語でのコミュニケーションで何を達成するかが重要なのです。逆に言えば、目的が達成できさえすれば英語が出来なくても問題は無いのです。
外国語ができるだけでは役に立たない
外国語ができれば、その言語を使うどんな場面にも対応できる訳ではありません。例えば、通訳の仕事一つ取っても外国語をマスターしているだけで全てできるようなものではないのです。何故なら、通訳をするためには、まず通訳者が話の内容を理解している必要があるからです。
考えて頂きたいのですが、言語が日本語であれば高度な知識が必要な学術理論の説明などを全て理解できるでしょうか?日本語でも理解できない内容を正しく外国語に翻訳することなどできるでしょうか?それは無理な話です。そのため、通訳の世界にも様々な分野(科学、IT、金融、医学、スポーツ、政治、経済、法律、芸術などなど)のスペシャリストがいます。それらの各分野の通訳のスペシャリスト達は言語以上に専門的な内容を理解するために努力しているはずなのです。
医者をやっている友人から聞いた話なのですが、彼が学会である外国人の医学者の発表を聞いた際に、その通訳者が発表内容を完璧に日本語に訳していたことに彼は驚いたそうです。しかも、発表内容だけではなく、質疑応答なども完璧に通訳していたので、あの通訳者は医学者と同等レベルの医学知識を備えているのだろうと彼は言っていました。
私の職場でも以前英訳担当として外部からの派遣社員の人が来ていたことがあるのですが、私が海外向けの文書の英訳を依頼すると、大抵「この言葉はどういう意味ですか?」と質問が来ました。また、その人が英訳した文書を確認すると、元々の意味を勘違いしていることがたまにあるので、それらを確認して修正しなくてはなりません。そのため、私は自分で英語で書く方が早いと判断し、その人に英訳依頼はしなくなりました。調査した訳ではありませんが、私の職場で英語が苦手な人以外は依頼をしていなかったように思います。
別にその英訳担当の派遣社員さんが無能だったという訳ではありません。そもそも、派遣社員として外部から来た人がいきなり業務の内容をきちんと理解することなど無理なのです。その人はTOEICの点数では私などよりも遥かに高得点を取っていたでしょうが、英語が出来るだけで仕事の戦力になれる訳ではありませんでした。
日本では「英語ができれば頭が良い」と考える人が多いように思います。その理由としては「英語ができる」ということは頭の良さとして分かり易いということが挙げられるでしょう。確かに流暢な英語で話している人はそれだけで格好良く見えるものです。しかし、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英教授が英語が喋れなかったという事例があるように、英語ができなくても偉大な成果を出している人は大勢います。
英語はあくまでコミュニケーションのツールでしかありません。英語を習得したり英語を使ったりすることよりも、英語を使って何をするかの方が重要だという当たり前の認識をもっと多くの人に持って欲しいと私は思います。