私は心の根っこの部分で「自分は世界で一番正しい」と信じています。もちろん人への気遣いや謙虚さも必要ですが、それと同時に自分への強烈な自信というものは必要なのです。
私が10代の頃、いじめによる中高生の自殺が社会問題になっていました。その時にいじめられて自殺した子供が何をしていたかの記録の記事を読んだことがあります。その記事によると、その子はいじめを受けた後、一人になった時に、自分で自分の体を殴ったり、寒い中裸になったり、排泄物を口に入れたりするようなことをしていたそうです。まだ10代の頃の私には、彼が何故自分でも自分を傷つけるような行為をしていたのかさっぱり理解できませんでした。
ですが、今は何となく分かるような気がするのです。彼は自分で自分に罰を与えることで「自分はいじめられて当然の悪人だ」と思い込もうとしていたのでしょう。普通に考えれば、「自分は悪くない、悪いのはいじめる奴らだ」という結論になりますが、そうなれば「反撃できない弱く惨めな自分」を認めなくてはならなくなります。彼にとって、「いじめられているのに反撃できない弱く惨めな自分」を受け入れるよりも「自分は罰を与えられて当然の悪人だ」と考える方が気が楽だったのでしょう。
しかし、これは問題の解決を妨げる最悪の自己欺瞞だと言えるでしょう。もし、彼が「自分は正しい」という考えを少しでも持つことができていれば、体を鍛えたり、誰かの助力を求めたりするなどの建設的な行動を起こすことができたかもしれないのです。彼はそのような考えを持つことが出来なかったため、自殺という最悪の選択をしてしまったのではないでしょうか。
このように、人は心の奥底に「自分は世界で一番正しい」という、いわゆる”根拠の無い自信”を持っている方がより強く生きていくことができます。それを持っていれば、どのようなメリットがあるかということを以下に書いておきます。
メリット1:同調圧力に強くなる
同調圧力に弱いために、周囲からの頼みごとを断れなかったり、損な役を押し付けられる人もいますが、「自分は世界で一番正しい」という根拠の無い自信を持つ人は、このような時にもNoと言うことができます。
また、もしも周り中の人全員が「お前なんか死んでしまえ」と言ったとしても、「冗談じゃない!俺は一人になっても生きる!」と言える強さを持つことができるはずです。現代では、SNSいじめのようなものもあるようですが、SNSの中だけのいじめに限定されているのであれば「SNSなんかやーめた。あいつらとは縁を切ればいいや。」と考えれば良いのです。SNSなんか無くても死ぬことはありませんし、友達が居なくても楽しく生きていくことはできます。根拠の無い自信を持つ人は孤独にも強くなるので、このような決断を素早くできるのです。
メリット2:多数派の意見を正しいと盲目的に考えない
歴史を紐解いてみれば、大多数の言っていることの方が間違っていたということは珍しくもありません。それまでの科学の常識を覆すような大発見をした偉人たちは皆「俺が世界で一番正しい」と信じていたと思います。そうでなければ、自分の考えと世界中の人の考えが異なっていた時に自分の考えを信じて突き進むことなどできなかったはずです。
また、事業など新しいことを始める時は、大抵周囲からの反対を受けるものです。もちろんリスクもあるのでしょうが、そのような時に大多数の反対意見を押し切って行動を起こした人だけが多くのものを得ることができたはずです。
メリット3:声が大きいだけの人間の考えを受け入れない
配偶者にDVをする人の常套句として「殴られるようなことをするお前が悪い」というものがあります。どう考えても、殴る側が100%悪いのですが、DVをされ続け、その度に「殴られるお前が悪い」と言われ続けると、「そうなのかな?」と思ってしまう人も多いようです。
ですが、これも自己欺瞞だと言えます。ここで、「殴る側が悪い」という当たり前の結論に到達してしまうと、暴力を振るう配偶者と戦わなくてはなりません。そうなれば、更なる暴力に晒される危険や恐怖に耐えなければならなくなります。それよりも「殴られるのは自分が至らないから」と思い込んでいる方が楽なのでしょう。そもそもDVをする人はDV被害者がそのように考えることを狙っているのです。
これはブラック企業などでパワハラをする上司なども同じです。明らかにパワハラをしているのに、「お前が悪いからだ!」と言い続けることで、ひどい労働環境と低賃金でこき使われながらも「自分が悪いんだ」と思い込んで奴隷のように働く社員を得ようという考えが根底にあるのかもしれません。
そのような状況でも、「どう考えてもあいつが間違っている。自分の方が正しい!」と自信を持って言える心の強さがあれば、DVをする配偶者とは離婚、ブラック企業からは退職するなどの行動を起こすことができるはずです。
「自分は世界で一番正しい」と思える人とは
私は心の奥底で「自分は世界で一番正しい」と信じていますが、何故私がそのように考えることができたのかと訊かれても、正直良くは分かりません。ただ、やはり子供の頃に家族からたくさんの愛情を受け取っていたことが大きいでしょう。また、幼い頃に父から「お前は頭が良い」と言われ続けていたことが”根拠のない自信”を持つ根拠になっていたと思います。
“根拠の無い自信”だけで何の努力もしなければ、自信過剰なだけの身の程知らずになってしまいますが、それでも自分に全く自信を持たない卑屈なだけの人よりもはるかにマシです。自信過剰なだけの身の程知らずは自分の可能性を信じているので、努力して大きく成長することもありますが、卑屈なだけの人は自分の可能性を信じられないため、大きく成長する可能性が極めて低いからです。
ただ、やはり大人になったら”根拠のない自信”だけではなく、具体的な努力によって”根拠のある自信”も持つ必要があります。そのためには、多くのことを学び、たくさんの経験をし、よく考え、多くの人と話すことが必要です。そして、自分の考えをブログなどで多くの人に発信することが良いでしょう。
“根拠のない自信”と努力で身に付けた”根拠のある自信”の両方を持つことによって、「自分は世界で一番正しい」という確固たる自信を持って生きることができると私は考えています。