社会人である以上、自分の責任をきちんと取ることは重要です。しかし、長く仕事をしていると、自分の責任だけを考えていれば良いという訳にはいかないこともあります。これは会社勤めをしている人に多いように思うのですが、自分の責任には敏感でも、人の責任には無頓着な人というのが結構多いのです。

 

人の責任には無頓着な人がいる

以前、私の職場で生産担当者と品質担当者との間でちょっとした対立が起こったことがありました。詳細は書きませんが、生産担当者は計画された生産数量を達成するためには、現在の生産ラインでは無理だと判断し、より多くの数量を生産できるように製造工程を変更したいと言ってきました。しかし、製造工程を変更することは品質的なリスクを伴うので、品質に影響を及ぼさないかの検証を十分に行い、品質部門長の承認を得る必要があります。

ですが、そのような正規の手続きはどうしても時間がかかり、計画された生産数量を達成できなくなるため、生産担当者は「最小限の検証で変更できないか?」とか「品質部門長には何とか言ってごまかせないか?」というようなことを品質担当者に言ってきました。しかも、驚いたことに生産部門の課長クラスの人も同じようなことを言ってきたのです。当然ですが、生産数量の達成よりも品質の方が優先されるため、品質担当者は最終的にはその要求を突っぱねました。

この場合、生産担当者は予定された数量の生産を達成することには責任を感じてはいたのでしょうが、品質には責任を感じていなかったのでしょう。しかも、現場の担当者だけでなく、課長クラスの人まで同じように考えていたのです。もし、品質担当者が経験の浅い新人だった場合、生産担当者とその課長に丸め込まれていた可能性もあったかもしれません。

 

自分の責任しか考えないと視野が狭くなる

生産担当者とその課長は、根底の部分で「自分の責任でなければ問題が起こっても良い」というような考え方をしていたのかもしれません。つまり会社全体のことよりも自分たちの立場を良くする方を優先していたのです。

これを悪い事だと言うのは簡単ですが、組織で生きる人は少なからず同じような考え方になりがちです。例えば、国民の幸福よりも省益や自分の出世ばかり優先している高級官僚などは、その典型だと言えるでしょう。自分の職域の中だけで評価される組織の評価制度にも問題があるとは思いますが、そうであったとしても、こういった人たちは自分の仕事や自分の責任しか考えてこなかったために視野が狭くなっているのではないかと思います。

広い世界を知るの記事でも書きましたが、人は一つの世界しか知らないと、それが全てになってしまい、目の前のことしか見えなくなってしまうのです。私の職場の生産担当者も、「自分の目標を達成しても、そのために会社全体に不利益を出しては本末転倒だ」と何故考えることができなかったのでしょうか?トップ層への報告の際に「品質問題を起こすリスクを冒してまで製造工程の変更はできませんでした。」と正直に言えば、納得してもらえたのではないでしょうか?

もちろん、私が生産担当者の苦労を全て知っている訳ではありませんので偉そうなことは言えませんし、私が彼の立場だったらひょっとすると同じように考えたのかもしれません。ですが、それでも自分の立場を良くするために、他の人の立場を軽んじるようなことはしたくないと”今の私”は思っています。