知能指数(Intelligence Quotient)という言葉はたまに耳にしますが、具体的にどのようなもので、どのような基準で算出される数字であるかを詳しく知っている人はほとんどいないでしょう。ですが、世間一般では、IQは「生まれついての頭の良さ」というイメージが強いのではないでしょうか?このイメージが「生まれつき頭の良い人には勝てない」というようなおかしな思い込みを生んでいるように感じます。
知能指数は知能の”発達の早さ”の指標
IQというものはどのように算出されるかご存知でしょうか?IQの算出方法は近年かなり変化してきているようですが、基本的な算出方法としては以下のようなものです。
発達年齢 ÷ 生活年齢 × 100 (成人以降は生活年齢を18歳に固定)
要するに5歳の時に10歳並みの知能を持っていればIQ200になるということです(実際にはもう少し複雑になっているようですが)。つまりIQとはあくまで「知能の発達の早さ」の指標でしかないのです。仮にIQが200の子供がいたとします。その子は、3歳の時に6歳並みの知能、4歳の時に8歳並みの知能、5歳の時に10歳並みの知能・・・というように必ず倍の速度での発達をするかと言えば、そんなはずはありません。発達の速度も人それぞれでばらつきがあります。つまりIQというものは成長の過程で上がったり下がったりするのが当たり前の指標なのです。
しかし、一般にIQというものには「生まれついての頭の良さを表す数字であり、生涯変わらない」というイメージがあるように思います。これが「人間には生まれつき頭の良い人と頭の悪い人がいる」という幻想を生んでいるように感じるのです。しかしこの考え方は裏を返せば「生まれつきバカな人間は努力しても無駄」という発想になり、自分の知力に自信の無い人が努力を放棄する言い訳に使われているように感じます。
生まれつきの頭の良さで全てが決まるのか?
「人間には生まれつき頭の良い人と頭の悪い人がいる」と考える人は、以下のような意見を持っているように感じます。それらについて、一つずつ論じていきます。
意見1:同じだけの勉強をしても習得に差が出ることがある
「同じ勉強をしてもすぐに習得出来る人とできない人がいる。それは生まれつきの頭の良さの違いじゃないのか?」と言う人がいます。確かに同じ勉強をして習熟度の差が出ることはよくありますが、それは当たり前のことです。
想像して頂きたいのですが、我々日本人が難読漢字を10個覚えようとした場合、少し頑張れば覚えることはできるでしょうが、もしも漢字など見たこともないような外国人が難読漢字を10個覚えようとしても我々と同じ程度の勉強時間で覚えられるはずがありあません。ですが、その外国人が我々よりも生まれつき頭が悪い訳ではないでしょう。単に我々は子供のころから大量の漢字に慣れ親しんだからこそ、難解な漢字も比較的すぐに覚えられるのです。つまり、蓄積の量が違えば、習得のスピードに差が出るのは当然です。
同じだけの学習をして自分よりも早く習得できる人は「生まれつき頭が良い」のではなく「これまでの蓄積が自分よりも多い」と解釈するべきです。
意見2:IQは生まれつき決まっていて変化しない
東大生のIQを調べたら明らかに平均IQが高かったという事例もあります。その結果をもって「IQが高いから東大に入れたんだ」と考える人もいますが、それは逆です。「東大に入れるように勉強した結果IQが高くなった」という方が正しいはずです。つまりこれは原因と結果を履き違えているのです。
IQテストというものがどのようなもかを詳しく知っている訳ではありませんが、ペーパーテストであることは間違い無いでしょう。私も小学生の頃に知能指数テストらしきものを受けたことがありますが、パズルのような計算問題や記憶力をテストする試験だったと記憶しています。つまり、IQは頭の回転の速さ、記憶力、発想力を測るテストです。
しかし、人間はトレーニングによって頭の回転の速さや記憶力は向上します。また、発想力も様々な知識や経験や思考の習慣などによって向上するので、学習でIQが向上しないというのは単なる思い込みでしょう。もう少し言っておくと、そもそも人間には「洞察力」のようなペーパーテストでは測れない頭の良さもあるので、IQの数値だけでその人間の可能性まで判断するのはあまりに無理があります。
意見3:生まれつき頭が良くないと、一定以上の知能は身につかない
確かに、この世にはとんでもない天才もいます。例えば、努力すれば全員がアインシュタインやホーキング博士のような天才の水準まで到達できるかと言えば難しいでしょう。
しかし、これは登山の世界に例えれば「エベレストに登頂できる人」のようなものです。世間一般で「頭が良い」と言われる目安は「一流大学に合格できる」というレベルでしょうが、これは登山に例えれば「富士山に登頂する」というレベルでしょう。富士山に登頂するのは確かに大変ですが、健康な体を持ち、道を間違えずに必死に頑張れば普通の人でも登頂は十分可能です。つまり、「才能」とか「生まれつきの頭の良さ」というのは凡人では到達できない領域に挑戦する人だけが考えるべきことです。
正直、私はこの知能指数(IQ)という概念があまり好きではありません。そもそも、人の頭の良さをたった3桁の数字で表すのは無理がありますし、頭が良くても優秀でない人もこの世の中には多くいます。(詳しくは、頭が良い人イコール優秀な人ではないの記事を参照)。ですが、このIQという概念が広まったのは、その”分かりやすさ”が大きかったのでしょう。
余談ですが、超人気漫画の「ドラゴンボール」では強さを表す数字として「戦闘力」という概念が出てきました。作品中で「戦闘力たったの5か、ゴミめ」とか「私の戦闘力は53万です」というような表現がとても面白かったのを覚えています。このように「強さ」や「頭の良さ」という一見分かりにくいものを数字で分かりやすく示してもらえると、格段に受け入れやすくなるのです。
ですが、もちろん子供の頃に測定した知能指数で全てが決まる訳がありませんし、仮に多少頭が悪くても行動力でカバーするということもできなくはありません。だから、IQなど気にせずに勉強したり、成功に向けて行動したりするべきです。少なくとも、「自分はIQが低いから何をやってもダメ」などと”努力しない言い訳”に使うべきではないでしょう。