現代の教育現場では、あらゆる理不尽を排除し、徹底的に公明正大な教育を行うことを目指してきたと言って良いでしょう。それ自体は正しいことですし、私も可能な限り公明正大であろうと心がけています。しかし残念なことに、この世の中は公明正大なことばかりではありません。むしろ理不尽なことで溢れています。

そのため、私はあえて理不尽を取り入れた教育も必要ではないかと考えています。何故なら、現代の理不尽を徹底的に排除した教育を続けると、世の中の理不尽に耐えられない人が増えてしまうのではないかという懸念があるからです。

 

理不尽は人がもたらすとは限らない

世の中にはブラック企業やパワハラなど、理不尽なことが溢れています。それらの理不尽を無くすために様々な人が懸命に努力しているのでしょうが、この世から全ての理不尽を無くすことは不可能です。何故なら、理不尽というものは必ずしも人がもたらすとは限らないからです。

私が考える究極の理不尽は地震などの大規模自然災害です。東日本大震災では、巨大な地震と津波で、東北地方沿岸のあらゆるものが破壊されました。その時に、仕事、財産、家族、故郷など今まで積み重ねて来た大切なもの全てを一瞬で失った人も多かったでしょう。その人たちはきっと「俺はずっと真面目に頑張ってきたのに、何で俺から全てを奪うんだ!何で俺がこんな目に遭わないといけないんだ!誰か説明してくれ!」と思ったことでしょう。しかし、誰も納得のいく説明などしてはくれません。自然災害では文句を言う相手もいません。その人は自分の身に起こった究極の理不尽をただ受け入れて生きていくしかないのです。

また、生まれつき病弱だったり障害を抱えた人も同様です。その人たちが自分がハンデを抱えていることに対して、どれだけ不満を言っても、誰も納得のいく説明などしてくれません。しかし、生まれつき目が見えないというハンデを抱えながら血の滲むような努力の末、世界一のピアニストになった辻井伸行さんのような人もいますし、パラリンピックでメダルを獲った人たちも、皆自分が抱えるハンデを受け入れた上で努力を続けてきていたはずなのです。

この世の理不尽を無くす努力ももちろん必要ですが、人はどうしようもない理不尽を受け入れた上で生きる心の強さも別に必要になるのです。

 

理不尽に耐えられない人は挫折に弱い

理不尽を受け入れる心の強さを持っていない人は挫折に弱い傾向があると私は考えています。挫折とは”努力が報われないこと”です。努力していない人が報われなくても、それは挫折とは呼びません。

我々は普段、子供や生徒に「頑張れば必ず報われる」と教えています。彼らはそれを信じて頑張る訳ですが、現実には頑張っても報われないことはあります。そういう時、彼らはその現実に理不尽さを感じるのですが、それに耐えられなくなったら、努力をすること自体が馬鹿馬鹿しく感じてしまい、極端に無気力になって引きこもりになったり、自暴自棄になって非行に走ったりするのです。

そのため、挫折に強い人間を育てるためには、「この世の中にはどうしようもないこともある」ということも教え、理不尽というもの耐える訓練をある程度しておかなくてはならないのです。

 

あえて理不尽を取り入れる教育

大規模自然災害の他に、この世で最も理不尽なものは戦争でしょう。そのため、軍隊という場所では、兵士に対して徹底的に”理不尽に耐える訓練”を行っています。

戦時中の日本軍では新兵を意味もなく殴るような習慣があったようです。これは正しくはありませんが、理不尽に耐える訓練という観点で見れば、必要ではあったかもしれません。現代の自衛隊や自衛隊の訓練学校では、さすがに暴力はもう無いようですが、一人の服装がほんの少し乱れているという理由から、上官から「腕立て伏せ〇十回!」と言われて、そこに居る全員がその場で腕立て伏せをさせられるということが行われているようです。

また、自衛隊の訓練学校では、寮の部屋をきちんと整理整頓せねばならず、部屋が少しでも乱れていると、訓練中に見回りに来た教官が部屋の中を滅茶苦茶に荒らしていくということが一種の行事として行われているそうです。訓練から帰って来た訓練生達は、その滅茶苦茶になった部屋を片付けて、元の状態に戻さなくてはなりません。もちろん、そのことに不平不満を言うことなど許されません。

このように、この現代においても軍隊や自衛隊では、あえて理不尽を取り入れる教育を行っているのです。

 

理不尽に耐えられる人材が求められる

体育会系の部活動では、軍隊ほどではないにしろ、先輩後輩の上下関係が厳しく、怒鳴られたりするようなこともまだ残っています。就職試験においても、体育会系の部活動を長くやって来た人は有利になる傾向がありますが、それは企業側も理不尽に耐える力を求めているということでしょう。

企業は限られた経営資源の中で社員への報酬や労働環境を提供している以上、全ての社員が完璧に満足できるような環境を作り上げるということは困難です。そのため、理不尽への耐性が高く、多少納得いかないことがあっても不平不満を言わずに黙々と仕事を続けることができる人間が求められていると言って良いでしょう。

ただし、それを企業側に利用され、ブラック企業で酷使されるというようなことは避けなくてはなりません。自然災害などの人の力ではどうしようもない理不尽は受け入れて耐えるしかありませんが、経営者の搾取による理不尽などにははっきりをおかしいと声をあげるべきです。そのため、耐えるべき理不尽と耐える必要のない理不尽をきちんと見分けることが同時に必要になります。