礼儀というものが社会において重要なことは今さら言うまでもありません。ですが、礼儀というものをつい忘れてしまうこともあります。そして、最も忘れやすく、そのため最も気を付けなくてはならないことは、自分より立場が下の人への礼儀です。私はある意味、どんなに偉い人への礼儀よりもこれに気を遣うべきだと考えています。
社会人であれば、上司や先輩などの目上の人への礼儀ができていない人などまず居ないでしょう。しかし、部下や後輩などの目下の人への礼儀ができていない人はたまに居ます。中には「目下の人へは礼儀など考える必要はない」と思っているとんでもなく愚かな人もいますが、問題外でしょう。パワハラが問題になりがちな現代においては、このような考えをしていると本当に社会人生命の危機を招きます。
目下の人への失礼をし続けると
上司や先輩などの目上の人に失礼なことをすれば大抵の場合、すぐに叱責が飛びます。つまり、目上の人へ失礼なことをしてしまった場合、それにすぐに気付くことができるのです。また、失礼なことをされた側もすぐに怒りを発散できますし、失礼なことをした側もすぐ謝罪するでしょうから、その怒りは爆竹のように一度大きな音をたてて弾けることはあっても、そこまで長く引きずることは少ないでしょう(ただし、目上の人でも発散させずに溜め込む人も居ますので、そこは注意が必要です)。
それに対し、部下や後輩などの目下の人に失礼なことをした場合、相手は大抵の場合我慢するでしょう。しかし、我慢しただけで怒りが消えた訳ではないのです。その怒りや不満は失礼なことをした側が気づかないうちに確実にその人の心の中に溜まっていきます。これは非常に恐ろしいことなのです。溜まりに溜まった怒りはいつか必ず爆発するでしょう。しかも、長い時間をかけて大量の怒りが溜まっているために、それが爆発した時の大きさは半端なものではありません。目上の人の失礼に対する怒りの爆発が爆竹ならば、目下の人の失礼に対する怒りの爆発はダイナマイトのような破壊力を秘めています。
その結果、部下の気持ちなど全く考えず好き勝手な経営をしてきたワンマン社長がある日突然社員全員からクーデターを起こされ、会社から追い出されるということが起こりえるのです。また、長年妻を虐げてきた夫が熟年離婚を突き付けられるというようなケースでも同じことが言えるでしょう。
優秀な人ほど目下の人への礼儀を忘れない
私が今まで見てきた中で、優秀だと思える人は部下や後輩への礼儀も決して忘れませんでした。また、部下に対しても敬語で話す人も多くいました。そもそも、人間も30歳を超えると、”先輩と後輩”、”上司と部下”の関係以前に”大人の社会人同士の関係”です。そのため、後輩だからと言って乱暴な口調で話すようなことはすべきではない、と考える人が今の時代は多いように感じます。実際、私も会社員として仕事をしている時、全く敬語を使わずに話すのは同期の社員だけでした。部下にぞんざいな態度を取ったり、怒鳴るような人もいましたが、そのような人は仕事の能力が高かったとしても、重要なポストには付けていなかったように感じます。
「あまり丁寧な態度で接すると、舐められるのでは?」と思う人もいるかもしれませんが、それはヤクザか小学生の考え方です。仕事で成果を出している人は、どれだけ丁寧な態度で周囲に接しても軽んじられることはありません。むしろ、成果を出していてかつ誰にも礼儀正し人が最も尊敬を集めると言って良いでしょう。
ちなみに、私は自分の中のルールで「敬語で話す相手には、こちらも敬語で話す」と決めています。と言うより、敬語で話しかけてくる相手に、敬語を使わずに話すのが苦手なのです。何故なら、私は常にフェアな人間関係を築いておきたいからです。
もし、自分が普段から目下の人に力で押さえつけるような態度で接していたら、目上の人にもそのような態度を取られて当然という意識がどうしてもできてしまいます。目下の人に対してフェアな関係を築くよう努めるからこそ、目上の人にも臆せず話すことができるのです。
目下の人に居丈高な態度で接しても、得られるのは一瞬の優越感だけです。そんなもののために、人望を失い、目上の人の態度に怯え、しかもいつ爆発するか分からないダイナマイトを抱えて生きるのは、あまりにも損ではないかと私は思います。