当然ですが、人には感情があります。しかし、社会には果たさなくてはならない道義というものがあり、それらはしばしば衝突することもあります。例えば、嫌いな同僚から結婚式の招待状が届いた時に、あなたはどうするでしょうか?これについては、万人共通の正解は無いのかもしれませんが、私なりの考えを示しておきます。
結論から言えば、私は”心情よりも道義を優先する派”です。そのため、嫌いな同僚の結婚式であっても、ご祝儀を支払って参加するでしょう。ただし、これは招待された結婚式には必ず参加しなくてはならないという意味ではありません。結婚式はあくまで例であり、私がここで言いたいのは、”心情を優先して道義を曲げる”という行為は長い目で見ると損をする可能性が高いということです。
心情のために道義を曲げることのデメリット
世の中には自分の心情の方を優先したいという人も居るかもしれません。ですが、「嫌いだから無視しても良い」とか「嫌いだから失礼なことをしても良い」というような考え方はやはり問題があるのです。そのようなことをしていると、どのような問題が起こるのかを具体的にお伝えします。
デメリット1:社会秩序が乱れる
「嫌いだから」という理由で相手を無視したり、失礼なことをしたりする人が会社の上司だったら、どうなるでしょうか?部下たちは、業績を上げることよりも上司の機嫌を取ることばかり考えることになるでしょう。そうなれば、会社の業績が落ちるのは避けられませんし、社会全体の秩序が維持できなくなります。
また、もしあなたに子供が居た場合、人を選んで態度を変えるような姿を子供に見せたいでしょうか?親のそのような姿は子供の教育にも良くないことは言うまでもありません。
デメリット2:自分が誰を嫌っているのかを相手や周囲に知られてしまう
自分が嫌いな相手だったとしても、相手にそれを悟られるのは得策ではありません。社会において強い人間とは、敵が少ない人間です。それに、自分も相手を嫌っていることがバレた場合、その相手からの風当たりがより厳しくなるのは確実です。そのため、嫌いな相手であっても、相手からは嫌われないように、道義を重んじた態度をしておいた方が最終的には得をするのです。
ちなみに、私の場合は嫌いな相手ほど必要以上に礼儀正しく接するようにしています。それは自分の心の中の相手への嫌悪感をカムフラージュするためです。
自分自身の心情をコントロールする方法
心情よりも道義を重んじるということが難しい人も居るでしょう。そこで、自分自身の心をコントロールするためには、どのようにすれば良いかということについて、私の考えを書いておきます。
方法1:その人の存在によるメリットを考える
嫌いな人であっても、その人が存在していることで得られる恩恵というものもある場合があります。例えば、あなたの職場に厳しく口うるさい上司がいたとします。その場合「あの人は口うるさいから嫌い」と考えるのは簡単です。しかし、その人が厳しくしているからこそ、会社が業績を上げることができ、存続しているかもしれないのです。その厳しい上司が退職し、これからは気楽に仕事ができると喜んでいたら、会社が倒産してしまったということもありえます。その時になってその上司の存在のありがたさに気づいても遅いのです。
また、直接世話になっていない人であっても、その人の仕事ぶりから学ぶことがあった場合は、やはりその人の存在のメリットを享受しているのです。そのように広い視点でものを見ていけば、たとえ嫌な人であっても、何かしらのメリットを享受しているということは結構あるのです。
結婚している人であれば、配偶者の両親と合わないと悩む人も多いですが、そもそも義両親が居なければ、配偶者も居ないのです。配偶者との結婚生活が幸せであれば、義両親の存在によるメリットを享受していると考えるべきです。
また、一般的に厳しい親のもとで育った人間であれば、立派に育つ可能性は高いでしょうし、甘やかす親のもとで育った人間であれば、いい加減な人間に育つ可能性が高いでしょう。つまり結婚相手を決める時には”立派な人”と”厳しい親”はセットだと考えるぐらいが丁度よいのです。“厳しいことを何も言わない両親のもとで育った立派な人と結婚したい”は都合が良すぎます。もちろん「子供には厳しく、子供の配偶者には優しい」がベストでしょうが、それは理想論です。現実が理想通りでないことに文句をを言っても始まりません。
方法2:その人の抱える事情や気持ちを想像する
自分に対して何か冷たい態度を取った人が居たとします。その時はその人に怒りや嫌悪を感じるでしょうが、もし「その人の子供が昨日突然亡くなった」という事実を知ったらどう感じるでしょうか?きっとその人への怒りの感情も無くなるはずです。このように、人は何か重い事情を抱えている人に対して怒りを持続することはできないのです。
そのため、自分がに対して冷たい態度を取った相手には、「きっと何か重い事情を抱えているのだろう」と考えると、怒りの気持ちや嫌悪感も薄らいでいくものです。または、「今頃あの人は自分への態度を反省して、謝りたいと思っているかもしれない。」と考えるのも良いでしょう。そう考えると、「あの人が気まずく感じないようにするためにも、自分から明るく挨拶をしてあげよう」ぐらいの心の余裕を持つことができます。
方法3:心の修行をさせてもらったと考える
どう考えても、その人の存在が自分にメリットをもたらしていない場合もあるかもしれませんし、事情など何もなく、ただ横暴で失礼なだけの人だったということもあるでしょう。そういう時には、多少強引な理由付けでも構わないので、「あの人がいたおかげで、かなり心が鍛えられたな」ぐらいに考えておけば良いでしょう。要するに、自分の心を納得させることができれば良いのです。
心情のコントロールなどしたくないという人は
そんな風に無理やり自分の気持ちを納得させる必要があるのか?そんなことは自分に嘘をついているということではないのか?自分の本当の気持ちはどうなるのか?と疑問に持つ人もいるかもしれません。
ですが、「心情のコントロールなんかしたくない!嫌いな人は無視して過ごしたい」というのはあまりにも子供っぽい考え方でしょう。大人はみんな本音と建前を使い分けて生きています。それをずるいことだと言う人も居ますが、この世の中の全員が本音で言いたいことを言い合っていたら世の中が滅茶苦茶になります。建前は人を傷つけないようにする気遣いなのです。
そもそも嫌いな人を無視したり失礼な態度を取って、本当に満足感を得られるのでしょうか?得られるのは、ほんの数秒間の爽快感だけです。ならば、嫌いな人とも適度な距離で良好な関係を築いた方が、ストレスも最小化できるのではないか、というのが私の考えです。
でも、世界に一人ぐらいは・・・
ここまで、心情よりも道義を優先すべきということを書いてきました。ですが、夫婦、恋人、兄弟、親友などの極めて近く対等な間柄では道義よりも心情を優先する関係の方がうまく行く”場合”もあります。要するに「正論よりも私の気持ちを大事にして!」ということを許し合う関係です。世の中にはこのような関係を望む人もいるのです。
ただし、この関係は愛情や思いやりをお互いに持っていることが前提です。何故なら、「私が嫌だから」というような心情のために道義を捻じ曲げることを許していたら、いくらでも我儘を言うことができてしまいますが、片方だけしかそれを受け入れなかった場合、愛情や思いやりを一方的に搾取するだけの関係になるからです。そうなれば、その関係はいずれ必ず破綻します。
「私の気持ちを優先して!」と相手に要求するのであれば、相手の気持ちも常に優先して考えなくてはならないのです。「私の我儘を聞いて」と要求するのであれば、「あなたの我儘にも付き合います」という気持ちも同時に持っていなければならないのです。“心情を優先し合う関係”とは、それが出来なければ破綻してしまう極めて危うい関係とも言えます。
そのため、私は夫婦や兄弟であっても、心情よりも道義を優先して筋を通す関係の方が好ましいと考えています。ですが、どうしてもと望むのであれば、世界に一人ぐらいはそのような人が居てもいいのかもしれません。