「居心地が良い」という言葉に皆さんはどのような印象を持たれるでしょうか?居心地の良い職場、居心地の良い部屋、一緒にいると居心地の良い人など様々ありますが、悪い印象を持つ人は少ないでしょう。

ですが、居心地が良い場所はある意味非常に危険だと言えます。何故なら、人は「居心地が良い」と感じている間は、現状を変えようと努力しないからです。居心地の良い環境に依存して、努力を怠ったまま時間だけが過ぎてしまい、何の力も身に着けられないまま年老いてしまうとしたら、これほど恐ろしいことはありません。

逆に、居心地の悪い場所や一緒に居ると居心地の悪い人の存在は自分を大きく成長させてくれることがあります。今いる場所に居心地の悪さを感じるからこそ、自分の居場所を作るための努力や自立してそこを出ていくための努力ができますし、厳しいことを言う人がいるからこそ、自己反省して行いを改めることができるようになるのです。そういう点で言えば、口うるさい親や厳しい上司などの存在は、実はありがたいものなのです。

そのため、もし今自分が居る場所に対し”居心地が良い”と思ったら、そこから出ていくことも考えた方が良いかもしれません。それは自分の成長が止まってしまっていることへの警告かもしれないのです。

 

居心地の良い環境に甘え過ぎて危機的状況に陥ってしまう人として真っ先に思いつくのはニートや引きこもりといった人たちです。

うつ病などの病気の可能性もあるため一概には言えませんが、引きこもりを生む原因としては、ネット環境やゲームなどが揃っていて、プライバシーも確保されている「居心地の良い部屋」があることが大きいでしょう。逆に居心地の悪い家の方が子供は”こんな家早く出て行ってやる”と思うため、自立が促される傾向があります。例えば、大家族特集番組などに出てくるような子供に個室などなく家族全員が居間で雑魚寝しているような家の方が、子供たちはさっさと自立しています。そのため、子供の自立を促すためには、家は多少居心地の悪い場所である方が良いのです。

 

また、いつも同じメンバーで同じ居酒屋で同じような下らない話ばかりしているような人たちがたまに居ますが、一緒にいて居心地の良い人間同士で集まってばかりいると、その集団のぬるい空気の中で、”皆俺と同じなんだ”という安心感を感じてしまい、向上心が失われてしまいます。それどころか、向上心を持って何かに挑戦しようとすると、その集団のメンバーから妨害を受けることも有り得ます。そのような集団や友人たちとは疎遠にした方が良いでしょう。

厳しいことを言う人や自分よりも知的レベル・経済的レベルが高く向上心のある人たちと一緒に居ると、人は居心地の悪さを感じることが多いですが、可能であれば若いうちからそういった人が大勢いる”居心地の悪い空気”に自分から飛び込んでいくことを心掛けるべきでしょう。そのようにしていれば、自分自身の意識も高まり、努力を重ねるようになった結果、その居心地の悪い空気を逆に心地よく感じることができるようになります。少なくとも、何も成し遂げられずにぬるま湯の中で老いていくより遥かに良いでしょう。

 

私の話をすると、私の両親や兄弟などの実家家族は愛情深い人たちではりますが、人にも自分にもかなり厳しいところがあり、家族全員が”あらゆる困難は努力と忍耐で乗り越える”という考え方でした。そのため、少なくとも私の実家は”居心地の良い家”ではなかったように思います。今でも実家家族と会うと厳しい言葉を投げかけられることもありますが、私はその居心地の悪さを逆に心地よく感じるのです。逆に何も厳しいこと言わない人や優しいだけの人と一緒に居ると、その居心地の良さが気持ち悪く感じることがあります。居心地が良いだけの環境に居続けると依存が生まれ、自分がダメになってしまうような気がするからです。

 

この”居心地の良い環境を作り、人を依存させて搾取する”ということを一種のビジネスとして完成させたものがカルト宗教と言えるでしょう。

私は大学に入ったばかりの頃、合同結婚式で有名な某カルト宗教系のサークルに勧誘されて行ってみたことがありました。そこの人たちは皆とても優しく、親切で、私の話を嫌な顔一つせずに聞いてくれる上に、私が不愉快になるようなことや厳しいことは一切言いませんでした。あれは私がそれまで経験したことのない程の”居心地の良い空間”だったと思います。しかし、そのサークルに居る時に私の心の中の非常に深い部分が「こんな所に居たら、お前は絶対にダメになる!」という激しい警告を与えていました。もちろんその後私がそのサークルに入ることはありませんでした。

私はこの経験によってカルト宗教がいかにして、信者を獲得し、搾取しているかのメカニズムが分かったように思います。カルト宗教は、まず信者同士で徹底的に居心地の良いコミュニティを作り出し、心をそこに依存させることによって、教団から離れられない精神状態にします。その状態になると、信者は”居心地が良い場所”を維持するためであれば、お金でも労力でもいくらでも差し出すようになるのです。

非常に卑劣なシステムですが、単純にビジネスという観点だけで考えると非常に上手いビジネスモデルだと言えます。何故なら信者同士で居心地の良いコミュニティを作ることにお金はほとんどかからないからです。つまり非常に安いコストで作ることができる”居心地の良い場所”という名の”商品”を信者は全財産を投じて買ってくれるのですから、こんなオイシイ商売はないでしょう。

 

このように、居心地の良い場所に依存し過ぎることは向上心が失われるだけでなく、人生そのものを棒に振る危険性もあるということは覚えておいた方が良いでしょう。