仕事というものは責任をもってきちんとやらなくてはなりません。しかし、常に完成度100%の仕事をしようとし過ぎることで、逆に弊害を生むことがあります。100%満足できるまで努力し続けること自体を否定はしませんが、ほとんどの仕事では、陶芸家のように自分の作品を叩き割って最初から作り直すということはできないのです。
弊害1:仕事が遅くなる
常に完成度100%の仕事を目指すことの最大の弊害は仕事の完成が遅くなるところにあります。
仕事に好きなだけ時間をかけられるのであれば問題ありませんが、実際の仕事には時間の制約があります。その限られた時間の中で仕事を完成させなくてはならないのに、毎回100%を目指していては時間がどれだけあっても足りなくなります。そのため、80%程度の完成度で納得して次に進む決断が必要になることの方が多いのです。
しかし、真面目な人ほど仕事をしっかりやろうとし過ぎてこの罠にかかってしまいます。実は新人の頃の私がまさにこの罠にかかっていました。そして、そのことについて、上司から注意を受けたことがあります。
【上司からの助言】
- 君は仕事を100%きっちりやろうとし過ぎるため、仕事が遅い傾向がある。
- 仮に5つの仕事を持っている人が5つ全ての仕事を80%の完成度でこなすことができれば全体の評価は80点だが、5つの仕事のうち100%の完成度でも2つしかこなせなかった場合、全体の評価は40点になってしまう。
- 完璧ではなくても合格点レベルの仕事を素早く次々とこなす能力の方が評価されると考えた方が良い。
仕事は完璧にこなさなくてはならないと考えていた新人の頃の私にとって、上司からのこの助言は目から鱗が落ちる思いでした。
弊害2:決断力や行動力を失う
完成度100%の仕事をしようとすると、自分の中で完成度100%だと納得できるまで次に進めなくなってしまいます。それは決断力や行動力を失ってしまうということであり、それらを失うと仕事を進める上で致命的になります。
私は政治経済関係のブログでランキングで一位を取るようなトップブロガーの記事を読むことがよくありますが、そのような人のブログでも意外と誤字や脱字が多いことに気付くことがありますし、「昨日更新した記事に一部誤りがありました。」という謝罪と訂正が載っていることもたまに見ます。また、私に助言をくれた上司も部下へのメールの中にはたまに誤字があったりします。つまり、実績を出している人であっても、必ずしも全て完璧な仕事をしている訳ではないのです。
私自身、このホームページでのコラム記事を書き始めるようになってから気付いたのですが、完璧な記事を書こうとすると、いつまでも記事を公開することができないのです。そのため、8割程度の完成度で公開してしまおうと割り切ることにしてから、更新頻度が格段に上がりました。もちろん、公開した後で内容を修正することも多いですし、一度公開した記事の公開を取りやめたこともありますが、失敗や批判を恐れて記事を公開すること自体ができなくなるよりは遥かに良いと思っています。
弊害3:フィードバックを受けにくくなる
常に100%を目指す人は、自分の中で完成度100%だと思えるまで人には見せない傾向があります。もちろん、あまりにいい加減なものを人に見せるのは良くないですが、さんざん時間をかけて完成度100%のものを作っても、大抵が自己満足でしかありません。そもそも、100%の完成度と自分では思っていても、他人から見たら穴だらけだというのは実際にはよくあることなのです。
それならば、そこそこの完成度のものを素早く作り、「取り急ぎ作ったものですがどうでしょうか?」と言って上司や先輩に見せてフィードバックを受けた方がずっと早く完成に近づくでしょう。
「完成度100%にならないと人には見せない」と考えている人は「批判をされたくない」という気持ちが強いのかもしれませんが、本来の目的は「実績を出すこと」であり、「批判されないこと」ではありません。それならば、批判や叱責を受けることも覚悟し、むしろそれらもフィードバックの一種だと考えて突き進んでいくことが求められます。
では、ちょっとこの記事の締めの文章が思いつかないのですが、書きたいことを8割は書けたので、ここまでとします。