現在、世間は新型コロナウイルスの話題で持ちきりですが、この騒動を見ていると、人はつくづく”安心”を求めて生きているのだということを実感させられます。ですが、本来人は”安全”を求めるべきです。それなのに、”安心”を求めるあまり”安全を”失っているという状況が実際にはかなり見られます。
安心を求めすぎると危険に陥る
現在、海外では新型コロナウイルスの影響で医療崩壊の状態になっている国もあり、その原因の一つは検査をし過ぎたことだと言われています。冷静に考えれば、新型コロナウイルスは治療薬が無い上に病院で感染するリスクもあるので、「軽症なら無理に病院へ検査に行かない方が良いのでは」と判断することもできますが、実際には検査を求めて病院に押し掛ける人は多いようです。
また、日本でも体調を崩した子供の新型コロナウイルスの検査を求めたが断られたので、病院を何件も周って検査を求め続けた母親の話なども聞いたことがあります。
これらは、“安心”を求めすぎた結果、”安全”を失っている状態だと言えるでしょう。
新型コロナウイルスの騒動に限らず、”安心”を求めて”安全”を失うということは世の中ではよくあることです。
身近なもので言うと保険もそうです。現代では生命保険、車両保険、火災保険、がん保険など何百種類もの保険が売られており、多くの人が安心を求めてそれに加入します。保険は正しく使えば有用なものですが、”安心”を求めるあまり保険にどんどん加入していけば多額の保険料がかかることになります。もし、保険料の支払いで現在の生活を維持するお金が足りなくなっては本末転倒です。
もっと極端な例を挙げると、カルト宗教にはまる人などは”安心”を得るために胡散臭い教祖の言葉や支離滅裂な教義を信じて財産を寄付したり、布教活動を行ったりしますが、そのような人の未来は悲惨の一言でしょう。
このような事例を考えても「安心」にはリスクやコストがかかり、「安心」ばかりを求めると、逆に危険に陥ってしまうと考えられます。
不安に耐えて行動することが必要
安心というものは、ある意味では人間の究極の願いだと言っても過言ではありません。ですが、本来”安心”よりも重要なのは”安全”のはずです。そして”安全”を得るためには”危険”を直視し、それを回避するための行動をし続ける必要があります。
しかし、多くの人がこれができません。何故なら危険を直視することは不安をもたらすからです。不安であり続けるの記事でも書きましたが、不安に耐えられない人は危険を直視することを嫌うのです。何故なら、危険から目を逸らしている方が安心できるからです。ですが、そんなことを続けていては、いずれ致命的な状況に陥ることは避けられないでしょう。
だからこそ、“安全”を得るためには不安に耐えて行動し続ける覚悟が必要になるのです。
受験における安心と安全
受験における”安全”とは「志望校に合格できる学力を身に付け、それを維持すること」です。そのためには、毎日の勉強も大事ですが、現在の自分自身のレベルを正しく把握し、”安全”な状態に持っていくために何が必要であるかを知る必要があります。
具体的には模試を受けて自分のレベルを確認したり、志望校の合格偏差値を調べることが必要ですが、もし自分の学力レベルが志望校に全く合格できるレベルではなかったらと考えると、それを知ることには不安が伴います。ですが、それを知らなければ受験における”安全”な状態(志望校に合格できる学力を維持している状態)に到達することはできません。
つまり、受験においても「安心」を得たいという気持ちが「安全」を遠ざけてしまうのです。
このような「現実を直視せずに成果だけ得たい」という欲求を持つ生徒やその保護者の方々は「○○の言う通りにしていれば確実に合格できる」というような売り文句に弱い傾向があります。例えば、「うちの塾の指導を受けていれば確実に合格できる」とか「うちの予備校でたくさんの講座を受講すれば合格できる」というようなことを信じて、ぼったくりの塾や予備校に高いお金を支払うことになることがありえます。
そして、うまく行かなければ「○○の言う通りにやったがうまく行かなかった、全部○○のせいだ!」という思考になります。何度も書いていますが、これはマネジメントを行う上で絶対にやってはいけない思考です。
受験に限りませんが、”安心”だけを誰かから手軽に手に入れようなどと考えると、あらゆる物事がうまくいかなくなります。
だからこそ、当塾では主体性を持ち、全責任を自分が持つ覚悟を持つことが何より重要であるということを最初に教えているのです。そして「○○の言う通りにしていれば良い」などという無責任な考えを捨て去り、危険を直視して積極的に動くことができるようになれば、受験以外でも人生のそのものが好転するはずです。