世間では”大事なことはみんなで決める”が正しいと言われています。これは民主主義国家の基本的な考え方であり、この考え方に異論を持つ人はほとんどいないでしょう。

しかし、私はあえて”大事なことは一人で決める”べきであると言わせて頂きます。これは別に独裁国家を礼賛している訳ではありません。様々な立場の人の意見を聞いたり議論をすることはもちろん必要ですが、最終的な決定は一人の人間がしなくてはならないのです。これは大企業や国家などの非常に大きな集団においても同じことです。

例えば、大企業において、社長と十数名の重役達が次の経営方針を決める重要な会議を行っていたとします。そういった時、全員の意見が綺麗に一つにまとまるということはほとんどありません。多くの場合、幾つかの案で意見が分かれることになります。その時は、最終的にどの案を取るかを社長が一人で決めなくてはならないのです。

もし、その時に社長が「多数決で決めよう」などと言ったら、どうなるでしょうか?そのようにして経営方針を決め、その結果がうまくいかなかった場合、おそらくその社長は「みんなで多数決して決めたんだから僕だけの責任じゃないよ。ここにいるみんなの責任でしょ。」と言い出すでしょう。そうなれば、経営陣の間で責任の押し付け合いが始まってしまいます。社長は「多数決で決めよう」と言った時、経営陣全体の意見を尊重しているように見えますが、実は自分が責任を取りたくないからそう言ったに過ぎないのです。

この場合、社長に求められることは「今回はこの案で行く!全責任は私が取る!」と宣言することなのです。トップの人間がそのように言ってくれるからこそ、下の人間は責任逃れのようなことを考えずに済み、業務に専念できるのです。そのため、特に組織のトップの人間が「みんなで決めよう」などという考え方を持つべきではないのです。

 

これは個人レベルの問題であっても同じことが言えます。

例えば、進学や就職など進路に関することを決める際に「先生や親がそう言うから」と言って決断を人任せにするようなことをしてはいけません。何故なら、そのようにして進路を決めた場合、何か意に沿わない事態に陥った時に「あいつがあの時ああ言ったせいで」などと人を責めながら生きることになるからです。

また、そのような生き方をしていと、人生の軌道修正ができなくなります。自分で決断して進路を選んだ場合であっても後悔することはあるでしょうが、その場合は自分で軌道修正することもできます。しかし、人に決断を委ねて進路を決めてしまった人は、軌道修正の決断もできないため、人を責めながら何となく望まない人生を送ることになります。

もっと最悪な事態としては、他人に言われてとんでもない方向に軌道修正してしまうことも考えられます。辛い時に、「私たちの教祖様の教えに従えば幸せになれるよ」とか言われてカルト宗教にのめり込んだり、口がうまいだけの異性に騙されてお金を貢いだりするようなことになることもあるのです。

 

私は別に人に助言を求めること自体を否定しているわけではありません。人の知恵を借りることはするべきですが、最終的な決断は自分一人でしなくてはならないのです。これが出来ない、つまり自分で責任を持って決断することができないと人生において致命的な結果になることがありえます。

“大事なことはみんなで決める”という言葉は一見するともっともらしく聞こえますが、そんな言葉を自分の責任や決断から逃げる口実に使うことを許してはならないのです。
だから私はあえて”大事なことは一人で決める”べきであると言わせて頂きます。