「仕事にやりがいを感じられない」と不満を言うひとがたまにいますが、私はこの”仕事のやりがい”という言葉があまり好きではありません。
企業に”やりがい”を保証する責任はない
給料が安いとか労働環境が悪いということで文句を言うのであれば、まだ分かります。ですが、「仕事にやりがいが無い」と言って文句を言うのは筋違いです。これは経営者の側の立場で考えれば、理解し易いのではないかと思います。経営者は社員に生活に必要な給与や労働環境を与えたり、福利厚生を充実させる責任はありますが、「仕事のやりがい」まで保証する責任はありません。
仕事というものは会社が決めるものではありますが、それ以上に社会の需要によって生まれるものです。そうなれば、そこには必ずしも面白い仕事ばかりではなく、つまらない仕事も当然あります。そのつまらない仕事を誰かが必ずやらなければならないのです。それなのに、全員が「やりがいが欲しい」などと言っていたら、社会が回らなくなります。
少なくとも私が経営者であれば、「仕事にやりがいがない」と文句を言う人に重要な仕事は任せないでしょう。何故なら、やりがいの無いつまらない仕事を懸命にこなす人でなければ、やりがいがある責任の重い仕事を任せようとは考えられないからです。
“やりがいがある”ということは、それをやっている時に”自分には価値があると実感できる”とも言い換えることができますが、仕事とは社会の需要に応えることで報酬を得るという行為であり、別に自分に価値があることを確認するための行為では無いはずです。そこを勘違いしたまま、やりがいばかりを求めていては、重要なことを見失ってしまいます。
“やりがい”による搾取
また、社員が”やりがい”ばかりを求めていると、経営者側が逆にそれを利用するケースもあります。つまり、「やりがいがあれば給料は安くてもいいでしょ」という理屈がまかり通ってしまうのです。こういった考え方が広まれば、自然とブラック企業も増えることになります。これはカルト宗教や過激な政治活動にはまる人にも同じことが言えるでしょう。つまり、”やりがい”ばかりを求めていると、本来の目的を見失い、人生そのものを踏み外す危険があるのです。
仕事をする時は、”社会の需要に応え、成果を出す”ということだけ考えていれば良いのです。やりがいというものはそこに自然に付いてくるものであって、求めるものではないと考えるべきでしょう。
最後に、宝塚歌劇団や阪急グループの創業者である小林一三氏の名言を載せておきます。
下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。