現代は、昔に比べれば、非常に自由な時代です。そのため、人の役割というものも昔ほどは求められなくなてきています。例えば、「あなたには〇〇家の跡取りとしての役割がある」とか「君は〇〇家の嫁としての役割がある」などというようなことを言われることは昔に比べれば遥かに少なくなったと言って良いでしょう。

これについて、「自由で良い」「負担が無くて良い」と言うこともできますが、話はそんなに単純ではありません。確かに、何か別にやりたいことがある人にとっては、それが出来なくなるような制約としての役割が無いということは良いことかもしれませんが、そういった明確な夢や目標がある人ばかりではないはずです。

 

役割が人格形成に与える影響

私は「役割」とは「人から必要とされている証明」であると考えています。人は役割があるからこそ、”自分が必要とされている”ということを実感できるのです。そのため、何の役割も与えられないということは周囲の人から”お前なんか居なくても困らないから”と言われているようなものです。

特に子供の頃に何の役割も与えられない、つまり自分が必要とされていることを実感できなければ、自己肯定感が低い人になってしまう可能性もあります。そのため、子供の頃から、家の手伝いなどをさせて子供に役割を与えることは教育上重要なことです。

 

私の実家は自営業だったため、小学生の頃からしょっちゅう家の仕事を手伝わされましたが、私は特にそれを嫌と思ったことはありませんでした。むしろ父の役に立つことができていることに嬉しさや楽しさを感じていました。また、私は現在学習塾という事業を行っていますが、小学校低学年の息子に「いつかお父さんの仕事を手伝ってくれるか?」と訊いた時、息子は嬉しそうに「いいよ!」と言ってくれました。誰かの役に立つことができ、誰かに喜んでもらえることは、それだけで嬉しいものなのです。その相手が大切な家族であれば、より大きな喜びとなるでしょう。

また、お盆の前や大晦日に親族で集まって、ご先祖の霊を迎える準備や新年を祝う準備をするというような行事を嫌う人は多いですが、そういった事を子供の頃から経験し「我々にはご先祖の霊をお迎えする役割がある」というようなことを教えることも、実はかなり重要なことなのです。

逆に家の中で何の役割も与えられなかった場合、自分に自信が持てず、「人のために頑張ろう」という気持ちも養われないので、ニートや引きこもりになりやすいと言えます。そうならなかったとしても、「自分が人のために何ができるか」ということを考えられない人は、最終的に不幸になる可能性が高いでしょう。例えば、結婚したとしても、配偶者が「自分が相手のために何ができるか?」ではなく、「相手が自分のために何をしてくれるか?」という発想しかできなければ、関係の破綻は時間の問題です。

 

全く何の役割も与えられなかったら?

もし、人が全く何の役割も無い暮らしをしていたらどうなるでしょうか?例えば、親から相続した不動産収入によって、何もしなくても大金が入る生活を続けているセレブニートは本当に満ち足りた気持ちで毎日を過ごしているのでしょうか?あるいは、天涯孤独の超大金持ちの男と結婚した女性が家事や育児は全て家政婦とベビーシッターがやってくれて、母親としての役割も妻としての役割も○○家の嫁などという役割も一切無く、ただただ贅沢な暮らしをするだけの日々を送っていたらどのように感じるでしょうか?

「羨ましい!自分もそんな暮らしがしたい!」と思う人もいるとは思いますが、何の目標も無く、何も生み出さず、ただただ人から与えられたものを消費するだけの暮らしを何年も続けていたら、退屈と虚しさに押しつぶされそうになるのではないでしょうか?

それに、どれほどお金を持っていても、自分で何も生み出さないのであれば、いわゆる「ウ○コ製造機」でしかありません。周囲の人たちはチヤホヤしてくれるかもしれませんが、それは自分の持つお金に群がってきているのであって、自分に対して本当に敬意を払っている人は一人も居ないでしょう。そんな状態で贅沢三昧の生活をしたところで、本当の意味での人から好意や賞賛を得られないまま人生を終えてしまうであろうことに絶望を感じるのではないでしょうか?

「そんなことはない、私はセレブニートになりたい」という人にはもう何も言いませんが、少なくとも私はそのように考えます。