私は仕事において「不要なプライドは持たない」ということを心がけています。「持たなくてはならないプライドと捨てるべきプライドがある」ということはよく言われていますが、ここでは私が考える”捨てるべきプライド”について、掘り下げて書いておきます。

 

人の知恵を借りることを恥と考えない

人の知恵を借りたり、人のアイディアを使わせてもらうことを恥だと考える人も居ます。例えば、ライバルが仕事で効率の良い手法を見つけて、それによって大きな成果を出したとします。その場合、ライバルが使っているのと同じ手法を使うことは負けを認めるように感じてしまうかもしれません。ですが、あえてその手法とは別の手法を使うことにこだわったために成果を出せなかったら本末転倒です。最も優先されることは成果を出すことなのですから、不要なプライドを捨てて、その手法を使えばよいのです。

ただ、世の中には特許や著作権というシステムがあるので、そのような場合はきちんとロイヤリティを支払う必要があります。そのようなシステムが無い場合でも他人のアイデアを使わせてもらうことについて、一言断りを入れる程度は礼儀として必要ですが、そういったことを行った上でそれを使うことは何も恥ずかしいことではありません。

 

自分より優れた人間の存在を認める

特に年下や後輩の中に自分よりも能力が高い人がいる場合、それを認めたがらない人も多いですが、これも不要なプライドだと言えます。年下だろうが後輩だろうが、自分より優れた人間が存在していることは当たり前です。

例えば、高校の教師が自分よりも勉強が出来る高校生がいたとして、それを恥ずかしいと感じる必要はありません。これはちょっと数学的に考えれば理解できることですが、仮に日本の全ての高校生が参加する模試で、上位0.1%以内に入る実力をその先生が持っていたとしても、現在日本には約320万人の高校生が居るのですから、日本全国に3200人はその教師よりも勉強が出来る高校生が居るのです。日本にそれだけの人数がいれば、そのうちの一人に会うことは珍しくもありませんし、名門高校ならもっと高い確率でいるはずです。つまり、教師より勉強ができる高校生などいて当たり前なのです。その居て当たり前の人間がたまたま自分の目の前に居ただけのことで恥ずかしいなどと考える必要などありません。

将棋の世界では中学生の藤井聡太くんが羽生さんに勝ってしまいましたが、あの羽生さんに勝つ中学生が出る時代に、教師より勉強ができる高校生の存在にいちいち驚いていられません。

 

学習マネジメント塾の考え

当塾は「人の知恵を借りること」を恥とは考えませんので、他の学習塾や他の講師が使っている効率の良い学習方法はどんどん取り入れていきます。それを”パクリだ!”と批判する人もいるかもしれませんが、ただ真似るだけではなく、本当にその方法で効率が良いかの検証も行い、他の方法とも組み合わせて、より効率の良い方法を模索していきます。その結果生まれたものはもはや単なるパクリでは無いのです。最も優先されることは成果を出すことなのですから、新しいものをどんどん取り入れ、世の中の変化に合わせて学習方法もアップデートし続けていくことが求められるのです。

また、当塾では「講師側が常に生徒よりも優れていなくてはならない」などという考え方も持っていません。むしろ、実際に当事者として受験勉強を行っている生徒の実感のこもった意見から学ぶことは非常に多いと考えています。そのため、生徒側の知恵もどんどん活用する方針です。これについては、指導内容のページにも記載してありますが、当塾では講師から生徒への一方通行の指導ではなく、生徒からのフィードバックを取り入れたり、多くの生徒から知恵を出し合ってもらうという活動をします。これを行うことによって、生徒自身が「どうすれば学習効率が上がるのか?」を考える機会を持つこともできるため、生徒自身が主体性を持つことにも繋がります。

これらの活動は不要なプライドを持たないからできることですが、根底となる考え方は”敬意を持つこと”です。人のアイディアを使わないということや生徒の意見を取り入れないということは、それらを価値が無いものと切り捨てているということであり、ある意味非常に傲慢な考え方です。人のアイディアや生徒の意見に敬意を持つからこそ、それらを活用し、より素晴らしい方法を模索することができるのです。