言うまでもありませんが、人には多様な能力があり、世の中のニーズも様々です。従って、その人の価値のようなものを決める万人共通の明確な基準などというものはこの世にありません。しかし、世の中には”一つの指標”で人の価値の全てを判断しようとする人が結構います。これは非常に危険な考え方です。
指標を一つしか持たない危険性
私は小学生の頃、あるスポーツのクラブに所属していましたが、私はそのスポーツが下手だった為に周りの子たちから馬鹿にされていました。しかし、今にして思うと特定のスポーツが下手だという理由でダメ人間のように言われるのはどう考えても間違っていました。子供は世の中には多様な価値観があるということを知らないため、何か一つ判断指標を与えられてしまうと、それが全てになってしまいがちです。子供の世界で「スクールカースト」などというものができてしまうのもそのためでしょう。
また、起業して数百人の社員を抱える会社を作った経営者の人が、「自分はもし会社勤めをしていたら絶対にポンコツ扱いされていただろう」と語っているのを聞いたことがあります。確かに社員として必要な能力と経営者として必要な能力は異なっています。だから、職場でうだつの上がらない人が全てにおいて劣っているとは限らないのです。
この他にも、「お金がある」「学歴がある」「良い会社に勤めている」「仕事ができる」「異性にモテる」など様々な指標がありますが、これらはどれも豊かな生活を一生保証してくれるようなものでもありませんし、突然失う可能性もあります。そのため、一つの指標だけで判断することは危険だと言わざるを得ません。
勉強ができることも指標の一つに過ぎない
“一つの指標”だけで人を判断する人は、その指標が高いか低いかだけで相手と自分が上か下かを判断するようになります。そうなれば、自分よりも指標が下の人間は見下すようになります。また、その指標で自分が低いレベルにあると感じたら、自分をどうしようもないダメ人間だと思って絶望してしまうでしょう。そして、これは学生における「勉強ができる」という指標でも同じことが言えます。
勉強を頑張って頭が良くなることは非常に素晴らしいことですが、子供の頃から「頑張って勉強して良い大学に入れ」と言われ続け、勉強に全てを懸けて生きてきたような子は、「勉強ができる」ということ以外に自分の価値を見出せなくなってしまう危険があります。そんな子がもし受験に失敗した場合、全てに絶望して鬱になったり、最悪自殺してしまう可能性もありえるでしょう。
そのため、私は塾というビジネスを行ってはいますが、勉強だけに全てを懸けるような学生生活を送ることは必ずしも適切ではないと考えています。
あなたは生きているだけで価値がある
そもそも「人は○○だから価値がある」という発想自体に問題があるとも言えます。そのように考えているとその○○の部分に当てはまるものを失った時に、全ての自信を喪失してしまうからです。私は、幼い時に「あなたは生きているだけで価値がある」と家族から言ってもらえる方が根底の部分で心の強い人間になれると考えています。
もちろん、社会で生きていくためには具体的な能力を身につけたり、仕組みを構築したりする必要がありますが、それらを突然失った時にも再起をはかれる心の強さも必要です。その時「自分は生きているだけで価値がある」という根拠のない自信を持っていることが重要になります。子供にその自信を与えることこそが親の役割だと言えるでしょう。
最後に、人気漫画「進撃の巨人」から主人公の母親であるカルラ・イェーガーの言葉を紹介します。
特別じゃなきゃいけないんですか?絶対に人から認められなければダメですか?
私はそうは思ってませんよ。少なくともこの子は…偉大になんてならなくてもいい。
人より優れていなくたって、だって、こんなにかわいい。だからこの子はもう偉いんです。
この世界に生まれて来てくれたんだから。