この世の中の秩序を守るためにルールが必要であることは言うまでもありません。ですが、ルールとは本来どのようなものであるかということを改めて考える機会は少ないと思いますので、私の考えを書いておきます。
ルールとは杓子定規で融通が利かないもの
私も交通違反の取り締まりを受けたことがありますが、そういう時に自分が悪いということは分かりつつも、「ちょっとぐらい見逃してくれてもいいのに・・・」というような気持になりました。このように世の中のルールに対して煩わしさを感じたり、「ちょっとぐらい融通を利かしてくれても」と考えてしまうことは多いでしょう。しかし、ルールというものは杓子定規で融通が利かないものでなければならないのです。
何故、そう言えるのかということが分かるエピソードを紹介します。
「刺青のお客様のご入浴お断り」と宣言しているとある温泉施設で、肩に小さな刺青のある男性が職員から入浴を断られてしまいました。その男性の刺青は非常に小さなものだったため、男性は「こんな小さな刺青で怖がる人間などいないだろう!タオルで隠して入るからいいだろ!」と言いました。
それに対し職員は「ここでお客様のご入浴を認めてしまうと、お客様の後で少し大きな刺青の入ったお客様が来られた場合のご入浴も認めなくてはならなくなります。その後、もっと大きな刺青のお客様のご入浴も認めなくてはならなくなり、最終的には全身に刺青が入ったお客様のご入浴もお断りできなくなるのです。」と説明したそうです。
この説明で男性は納得して、入浴を諦めたようですが、このエピソードはルールというものの本質を教えてくれるものだと言って良いでしょう。
ルールというものは、一度例外を認めてしまうと、際限なく緩んでしまうのです。
上記のエピソードでは、確かに非常に小さな刺青であれば、怖がる人はいないかもしれません。しかし、だからと言って「小さな刺青はOK、大きな刺青はダメ」というルールにしようにも、「大きな刺青」ではルールが曖昧ですので、「刺青の面積が何平方センチメートルまで」というような基準を設けて、客の体の刺青の面積をいちいち計測するという訳にはいきません。それならば、「ほんの小さな刺青でも全てダメ」とするしか無いのです。
また、もしも現場の人間の裁量でルールに融通を利かしていたら、現場の人間の機嫌を取ればルールから逃れることも可能になってしまいます。そうなれば賄賂が横行する社会になることも十分ありえます。その結果、行きつく先は法律よりも人の権力の方が優先される最悪の人治国家です。
これは非常に恐ろしいことです。日本であれば、たとえ総理大臣であっても人を殺せば逮捕されます。これは人が持つ権力が法の力を上回ってはならないという考え方があるからです。北朝鮮では将軍様が大勢の人が見ている目の前で人を撃ち殺したとしても、逮捕されることは無いでしょう。何故なら、将軍様の権力が法の権力を上回っているからです。北朝鮮の例は多少極端ですが、人の判断がルールを捻じ曲げることは恐ろしいということはお分かり頂けるのではないでしょうか?
ルール違反のピラミッド構造
もう一つ、ルールについて、非常に興味深い理論を紹介します。それは、「割れ窓理論」というものです。これは「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名前になっており、軽微な犯罪を徹底的に取り締まることで、凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるという理論です。実際にニューヨークでは、軽犯罪を徹底的に取り締まることで、凶悪犯罪を大きく減少させたという実績があるそうです。
ここから推測できることは、ルール違反や犯罪行為なども一種のピラミッド構造になっているということです。つまり、殺人や強盗などの凶悪犯罪がピラミッドの頂点部分だとしたら、落書きなどの軽微な犯罪はピラミッドの底辺部分ということです。もしも犯罪のピラミッドの頂点を低く、狭くする(凶悪犯罪を減らす)ことを目指すのであれば、ピラミッドの底辺を狭くする(軽微な犯罪を減らす)ことで達成できるということです。
校則が厳しい学校で、風紀指導の先生が生徒の服装や髪形をチェックするというようなことがあった場合、その先生は生徒から疎まれるでしょうが、服装の乱れのような軽微な校則違反を放置し続けることで、最終的には大きな秩序の乱れが発生することはありえます。
また、高校の学園祭の打ち上げなどで生徒が飲酒をしていないか先生が見回りをするというようなことがあった場合、生徒たちは「そこまでしなくても」と思うかもしれません。しかし、飲酒をする生徒が減る→喫煙をする生徒も減る→シンナーを吸う生徒も減る→大麻を吸う生徒も減る→覚醒剤を使う生徒も減る、というようなことに繋がるのです。
これは決して極端な考え方ではありません。学校にとって、覚醒剤を使って逮捕される生徒が一人出たら大問題になります。そのような大問題を起こさないために、未成年の飲酒をした何人かの生徒をきちんと罰しておかなくてはならないのです。
以上、ルールというものは”杓子定規で融通が利かないもの”であり、”軽微なものでも見逃してはならない”ということを説明させて頂きました。これを読んだ皆さんが自分が犯したルール違反に対し「ちょっとぐらい見逃してよ」とか「これぐらいいいだろ」などと言わず、そこから学ぶことができれば幸いです。