私がどうしても好きになれない言葉の一つに「グローバル化」というものがあります。「これからはグローバル化の時代だ」とか「グローバルスタンダードで考えなくてはならない」と言う人がたまにいますが、私には何故グローバル化が必要なのかがさっぱり分かりません。

 

グローバル化が目的であってはいけない

世界の標準などというものがあったとして、それに合わせなくてはならないという理由が無ければ合わせる必要は無いはずです。そもそも、「グローバル化を達成すること」が目的であるべきではありません。そうではなく、「より豊かに幸福に暮らせること」が目的のはずです。国際標準に合わせた結果、貧乏で不幸になったら本末転倒です。

例えば言語ですが、英語を話す人や公用語にしている人が世界で多いという理由から我々の普段の会話まで英語にする必要は全くありませんし、英語への過剰期待の記事でも書いた通り、英語教育に力を入れすぎることで国語の勉強が疎かになったら、思考力の低下を招き、逆に悪影響でしょう。

混乱を避けるために単位ぐらいは世界標準に合わせても良いかもしれませんが、アメリカでは未だに距離にマイル、重さにポンドなどの単位が当たり前のように使われています。欧米人は、世界標準かよりも自分達が使いやすいかどうかで判断している傾向ががあるように思いますが、私は別にそれで良いのではないかと思います。

 

こちらが合わせようという考えでは負ける

そもそも、誰が何の基準をもって世界標準を決めているのでしょうか?海外の文化やルールを持ってきて、「これがグローバルスタンダード、つまり世界の標準ですよ」と言う人がたまにいますが、そういう人は、自分たちに都合の良いものを押し付けているだけなのではないでしょうか?

勝つために実力以外で必要なものの記事でも書いたように、勝つためにはより有利な”ルール”と”場”で戦わなくてはならないのです。それなのに自分から相手に合わせようなどと考えていたら勝てるはずがありません。「俺たちのルールに合わせろ」と言う人と「相手のルールに合わせよう」と考えている人とではどちらが有利な勝負ができるかは考えるまでもないでしょう。

井戸の中で豊かで幸せに暮らせるなら、井の中の蛙は決して敗者ではないのです。大海に挑戦することを否定はしませんが、多くの場合、正しい戦略は蛙が大海に出ることでも井戸の中のルールを大海に合わせることでもなく、井戸の中に余計な敵が入ってこないようにすることや入ってきた敵と有利に戦えるように準備することです。

 

グローバル化による弊害が出ている

欧州では移民の受け入れによって社会的な混乱を招いていますし、通貨を統一したためにギリシャが財政破綻の危機に瀕しており、イギリスはEUからの離脱に動いています。アメリカでもトランプ大統領が国内産業を保護する反グローバリズム政策で支持を得ています。当サイトは政治経済問題を扱っている訳ではありませんので、それらの問題に対する具体的な議論はしませんが、今まで世界中で「グローバル化の時代だ」と言って外国の物や考え方を受け入れようとしてきたことへの反動が出ていることは確かです。

結局のところ、言語も文化も宗教も経済レベルも異なる国同士で全てを合わせようとしてもうまくいかないということに世界中の人が気づき始めたのでしょう。個人レベルでも異文化交流というものはたまにするから刺激的で面白いのです。常に異文化の人と一緒にいたら疲れてしまいます。例えば、私はイスラム教徒の人が嫌いな訳ではありませんが、一日5回のお祈りや豚肉を食べるなというような風習に付き合っていたら疲れると思います。

人との付き合いも国家間の付き合いも、相手に自分の価値観を押し付けず、相手に無理に合わそうとしせず、適度な距離を保つことが正解でしょう。