現代では、お節介を焼く人が昔に比べて少なくなってきているようにも思います。ですが、お節介な人の存在が人生を良い方に変えてくれることもあります。

例えば、現在活躍している一流のスポーツ選手は全員が自分からそのスポーツをやりたいと言って始めたのでしょうか?私は必ずしもそうではないと思います。最初は全く興味が無かったのに、親や友達などのお節介な誰かから無理やりやらされるうちにその面白さを知り、気が付いたら夢中になっていたというケースも多いのではないでしょうか。

また、昔は近所の”お節介おばさん”がお見合いをセッティングするというケースも多かったようです。ちなみに私はお見合いも決して悪いシステムではないと考えています。お見合いと言っても好きでない人と無理やり結婚させられる訳ではありませんし、結婚願望がある適齢期の男女にそのような機会を周りが提供すること自体が悪い訳ではないでしょう。それに、お見合いはある程度は相手の素性を知った上で行う場合が多いので、結婚後のリスク低減という観点で見ればメリットもあります。少なくとも”出会いが無い”と言い続けて中年になるよりは良いはずです。

お節介な人が減っているということは何かしらのチャンスを得る機会も減っているということではないかと私は思います。

 

私の両親のお節介

私の両親は父も母もかなりお節介な人でした。父は私が小学生の時に、突然「これから身体を鍛えるために毎日走るぞ!」と言い出し、それから私と兄は本当に1年以上毎日2km程度のマラソンをさせられました。当初は父の強権に振り回されているように感じましたが、そのトレーニングの結果、私は学校内のマラソン大会で駅伝の選手に選ばれ、クラスを代表して走るという経験をすることができました。私は運動はあまり得意な方ではなかったため、運動で人よりも秀でることができた経験は大きな自信になりました。

また、プロフィールでも書いたように、私は父から毎日算数のプリントを渡され、それを説き続けた結果、模試で学校で一人だけ算数で満点を取るという経験をすることもできました。

母は父とは違い、何かを無理やりやらせることはありませんでしたが、私が困っている時にお節介を焼く人でした。私は就職活動をしていた頃、内定が取れないことに悩み、無気力になりかけていた時期がありました。そして、一人暮らしのアパートの部屋に閉じこもるような生活を一か月近く続けた頃、突然母と兄が私のアパートに来ました。そして、母は「こういう会社を受けてみたら?それにこんな道も考えてみたら?」と非常に鬱陶しくお節介を焼いてきたのです。結局その時、母と兄に強引に勧められた進路を選ぶことで当時の私は動くことができました。

その時の私は母と兄に「もう俺のことは放っておいてくれ」と言いましたが、自分で動く気力すら失っていた当時の私が本当にあのまま放っておかれたら、ニートになっていたかもしれません。そういう意味では私は母のお節介に救われたと思います。

人は誰かからのお節介によって才能を開花させたり、自分では立ち直れない状況を救ってもらったりすることがあるのです。私は両親のお節介を通じてそれを実感しました。

 

お節介な人との付き合い

お節介な人と付き合うのは確かに鬱陶しいものです。私の場合、両親がともにお節介な人であるあため、今でもたまに会うと「ああしなさい、こうしなさい」と口うるさく言ってきますが、その時は適当に聞き流すようにしています。

正直言って、現在の私は両親のお節介にメリットは感じていません。と言うのも、お節介な人の存在がプラスに働くのは、以下の二つの時期だからです。

  • 世の中のことをほとんど知らない子供の時
  • 人生に迷い、どのように進んでよいか分からなくなっている時

私は子供ではありませんし、今はやりたいことに向かって突き進んでいるところなので、どちらにも当てはまりません。そのため、今の私は両親のお節介を鬱陶しく感じるだけというのが正直なところです。

しかし、上記のような時期というものは、誰の人生においても必ずあります。私の人生のその時期にお節介を焼いてくれたことについては私は両親に感謝しています。そして、自分の子供にも必要な時期にお節介を焼いてあげようと思っています。

重要なのは、お節介が必要な時期を正しく見極めて、必要なお節介を焼いてあげることです。私は日本で生涯独身率が高くなっているのも、ニートや引きこもりが増えているのも、必要な時期にお節介を焼く人が減ってきていることが原因の一つなのではないかと考えています。